幼少期の僕 ばーちゃんとの死闘〜マレーシアに新卒で就職したカップルのブログ〜

注意
この記事はhttps://malaysiamorimori.muragon.comから移行した記事です。
2015年に書いたもので、2018年3月現在僕は日本に戻っています!
はい、誰やねんシリーズ第4弾。   明日は忙しいので先に書いておきます。     いえーい!このブログの人気記事トップで表示されるようになったぜ!   いやー今日は美味しいお酒が飲めるべ。     まあ自慢はこのくらいにしないと、ただでさえ少ない友達が去っていくので。   今日から過去についてだらだら書いていきます。     僕の幼少期を語る上に置いて、絶対に外せないのが「ばーちゃん」の存在です。   僕は小学校3年生から父方のばーちゃんと同居してました。     むちゃくちゃです。   ほんまにむちゃくちゃ怖いばーちゃんでした。   僕は男三兄弟でしたけど、全員がばーちゃんの圧倒的な戦闘力の前では無力でした。   3本の矢でかかろうとも、僕のばーちゃんはあっさりとへし折ってしまうんですから、   毛利元就は嘘つきです。     ばーちゃんはとにかくパワフルで厳しくて昔気質な人。   小学校三年生の時から、僕ら兄弟は毎日家の家事を分担してこなしていました。   土日は朝8時から一斉に掃除が始まり、9時から正座をして松下幸之助さんや稲盛和夫さんの本を音読してました。   一日も欠かさず漢字ノートなるものを毎日ばーちゃんに提出していました。   小学校の時はほぼ毎日ばーちゃんと晩御飯を作ってました。(なぜか僕だけ)   部屋でいつもビクビクしながらゲームをし、ばーちゃんの気配がした瞬間、ゲームボーイアドバンスを光速で引き出しにダンクシュートしていました。   大河ドラマの時間になると問答無用でテレビの前に連れて行かれ、引きつった顔でテレビを見ていました。   小学校の時の門限は5時。 遅れると1、2時間説教は当たり前で、学習能力に乏しい弟はいつも玄関で立たされていました。       そしてもり家で後に語り継がれる「巌流島の決闘」。   包丁をもったばーちゃんと、泣き叫ぶ僕との死闘の記憶も、今となってはいい思い出です。     ほんまにしんどかったよ。   いつも何をするにもビクビクして、堂々とすることが出来なくて、いろんなことを厳しく制限されて。   けれども。   あのスパルタばーちゃんがいなかったら、   あの死闘をくぐり抜けていなかったら、   きっと僕はこうしてシェアハウスで韓国人女性と同居しながら、常夏の国でブログを書くことはなかったでしょう。   きっと抑圧されすぎて、遠くに飛び出したいフラストレーションが爆発したんやと俺は思ってます。     ほんまに厳しかったけど、   絶対その年代の奴は読んでない本とか、   知識とか、   考え方とか、   継続することの大事さとか、   礼儀とか、     数えきれんくらい大事で今の僕の根っこの部分を作ってくれたのは間違いなくばーちゃんでした。     ありがとうばーちゃん。 俺も23歳になったよ。 また元気なうちに血のたぎるような死闘をしよう。

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